2021/08/18

23. 碧宝珠

 ぼくはフルカスと二人で村長の屋敷をこっそり抜け出し、牢屋らしき建物へ向かった。
 カダルは既にいびきをかいていたし、フォンは別の部屋だったから。

 裏手に回り、牢屋を覗き込めば、中には囚人の男がひとり。身なりはぼろぼろだが、神官服を着ている。まだ若いその男は、ぼくたちに気付き、驚きの声を上げた。

「よかった! あなたがたは外から来た人ですね」

 鉄格子に顔を寄せ、嬉しそうに顔をほころばせる。その様子は、とても悪事を働いた囚人とは思えない。
 警戒しつつ鉄格子の前まで近付くと、男は声を潜めて言った。

「この牢の外壁、右から2つめ、下から4つめのレンガがひとつ外れるはずです。調べてみてください。そこにオーブを隠してあります」

 それは、あまりにも唐突な、予想もつかない言葉だった。面食らうぼくの肩を、フルカスがぽんと叩く。
 囚人の男は「時間がない」と必死に訴えている。とにかく質問は後回しだ。

 壁の周辺はもろくなっていて、石で土をかき出すとブロックが外れた。レンガの隙間に、何かがきらめいている。
 狭すぎて、フルカスの腕は入らない。ぼくは腕を伸ばして、碧色に輝く美しい宝玉を取り出した。

「これは……?」
「六つのオーブのひとつ、グリーンオーブです」

 ひどく安堵したような声で男が呟く。まるで、もう心残りはない、と言いたげに。

 どういうことなのか、詳しく事情を聞きたかった。しかし、その暇はなかった。
 不意に暗闇の中に明かりが灯り、黒い影が近づいてくるのが見えた。

「逃げてください、早く!」

 男が叫び、ぼくとフルカスは、言われるまま牢から離れ、駆け出した。振り返ったぼくの目に映ったのは、尖った牙と蝙蝠のような羽を持つ魔物の姿。
 牢屋を見回りに来たのは、人間ではなく、魔物だ。なぜ魔物が村の中を徘徊しているのか、どうして囚人の神官がオーブを持っていたのか。

 頭の中でぐるぐると思考が渦巻き、やがて意識はその渦の中に飲み込まれていった。



 朝陽が、直接顔に射しかかる。昨夜、カーテンを閉め忘れたのだろうか。
 まぶしさに軽く寝返りを打って、もう一度夢の中に戻りかける。

(そういえば、いつベッドに入ったんだろう……)

 昨夜からの記憶が、靄がかかったように不鮮明だった。確か、屋敷の裏手の牢屋へ行き、神官服を着た囚人と言葉を交わした。

 はっとオーブのことを思い出し、ぼくは慌てて跳ね起きる。その瞬間、ベッドが軋みを上げ、大音響と共に底が抜けた。

「いてて……。な、なんだ、これ?」
「おはよう、アレル。朝起きたら、この有様よ」

 部屋の中で、フォンが苦笑している。正確には、部屋なんかじゃない。寝ていたベッドはボロ板同然。壁はところどころ剥がれ落ち、蜘蛛の巣だらけ。
 目を覚ましたフルカスとカダルも、室内の変わり果てた様子に目を見張っていた。

 革袋を探ると、淡く光るグリーンオーブは確かにあった。昨夜のことは、現実。

 なんだか、狐につままれたようだ。
 もちろん村長はいないし、村中を歩き回っても、人などひとりもいない。建物は荒れ果て、あちこちで毒の沼地がブクブクと泡を吹いている。

 囚人がいた牢屋も、同じく廃墟と化していた。崩れ落ちた壁から牢の中に入ると、冷たい床に白骨化した屍が一体ある。
 近くの壁には、釘で引っかいたのだろう文字が刻まれていた。

『生きているうちに、オーブを渡せてよかった』

 あの神官が記したに違いない。きっと、これは彼の最期の言葉だ。

 重苦しい気持ちで、ぼくたちは海賊たちが待つ船に戻った。
 テドンの村の真実を知ったのは、その数日後。

 かつて、テドンの村の教会にグリーンオーブがあった。それゆえに、魔王軍が村ごとオーブを葬ったという。女も子供も村のすべてを、一夜にして。

 ぼくたちが見た村の光景は、テドンの人々の悲しい思いが作った幻だったのかもしれない。

「どうか、安らかに……。必ず、魔王を倒すから」

 テドンから遠く離れた海上で、ぼくは心に誓いを立てるように、白い花をそっと海に放った。


イングリッシュパーラー

2021/08/15

22. 違和感

 テドン河の西で、ぼくたち四人は船から降ろしてもらった。
 案の定、そこには小さな村があり、家々や店から明かりが漏れていた。アッサラームのような歓楽街ならともかく、夜遅いというのに、どの店も開いているのが不思議な気がする。

 こちらを気をする者は、誰一人いない。そんな中、村長だという老人に声をかけられた。宿に困っていると思ったのだろう。今夜泊まっていくようにと、自分の家に招いてくれた。

 村一番の旧家だという屋敷は、立派なたたずまいだった。けれど、村長の顔はやせこけて青白い。魔物の心配はないのか尋ねても、曖昧に微笑するばかり。

 ぼくたちがバラモス討伐の旅をしているのだと話すと、村長は、魔王の城へ行くには、六つのオーブが必要だと教えてくれた。オーブは一つではなく、六つ。
 全てのオーブを集めた時、伝説の不死鳥ラーミアが蘇る。ラーミアのみが、魔の城に辿り着けるのだという。

「ラーミアは天界の生き物で、精霊神ルビスのしもべ。六つのオーブを手に入れたら、最南の島レイアムランドに行くとよいでしょう。そこで、ラーミアは蘇ります」

(……ルビス?)

 村長が告げた名に、どうしてか、ぼくは胸の奥が痛むのを感じた。知らない名前のはずなのに。

 この村も村長も、どことなく雰囲気がおかしい。魔王の事をよく知っている様子だが、こちらから質問すると、はぐらかされる。何もかもが謎めいていた。

 食事を終え、休むための部屋に案内されても、気持ちが落ち着かなかった。ぼくだけでなく、仲間たちも同じらしい。

 ふと窓から外を見ると、屋敷の裏に、小さな四角い建物が闇の中にほの白く浮かび上がっていた。物置、いや、あれは牢屋だ。
 なぜ、そんなものがあるのだろう。


イングリッシュパーラー

2021/08/11

21. テドンの村

【アリアハン暦 1275年1月7日】

 新しい年は、海上で迎えた。

 海賊船はランシールに向けて、ネクロゴンド大陸を右手に見ながら南下していた。船室の窓から、黒々としたその大陸を見つめていると、居ても立ってもいられない気持ちになる。

 この大陸のどこかに、魔王バラモスがいる。ネクロゴンド大陸は海岸線が切り立った崖のため、船で近づくことは不可能だ。
 テドン河の東には山脈が連なり、魔王の出現以来、来る者を拒む天然の要塞となっている。陸からも海からも、侵入する術がない。

 バラモスの地へ行くには、オーブが必要だと言われた。早くオーブを手に入れなければ。
 ぼくはぎゅっと拳を握り締めた。言いようのない感情が、全身を駆け巡る。

 船室のドアが叩かれ、オルシェが入ってきたことにも気付かず、ぼくは眼前のネクロゴンドを見据えていた。オルシェに名を呼ばれ、はっと我に返る。

「悪いけど、甲板に来てくれるかい。ちょいと変なんだ」

 眉を寄せてそう告げられ、不安がよぎる。甲板に上がると、フルカス、フォン、カダルの三人の姿も既にあった。

 夜の海は暗く、不気味なほどに凪いでいる。

「あの明かりなんだけどね」

 オルシェの指し示す方向に目を凝らせば、岬の側に町明かりらしきものが見えた。けれど、そのあたりに人はいないはずだと言う。
 かつてはテドンという村があったが、その村は何年も前に魔物の襲撃に遭い、全滅したのだ、と。

 岬付近なら、テドン河をさかのぼれば、船をつけられる。上陸して様子を調べたほうがいいかもしれない。



幕間:オルシェの追想

 勇者オルテガの息子だという男、アレル。魔王バラモスなんて、あたいたちの知ったこっちゃないけど、カンダタの頼みだし、奴を負かした男ってのに興味があった。
 船に招いたのは、そんな理由から。

 しばらく一緒に船で過ごすうち、あのカンダタが入れ込む理由が分かった気がした。アレルは、すべてを包み込む温かい眼をしてる。
 あたいらのような裏稼業の者さえ、惹きつけてしまうような温かさ。

 あれは、アレルたちを海賊船に乗せて、10日余り過ぎた頃。
 水先案内のバーマラが、岬のそばに明かりが見えると言い出した。あたいの記憶では、このあたりに人はいない。確か、昔は村があった。小さなひっそりとした村が。

 少しばかり考えて、あたいはアレルの船室のドアを叩いた。その時、アレルは、遠くに見えるネクロゴンド大陸を怖いような眼差しで見つめていた。

 本当に、アレルなんだろうか。そう疑ってしまうほどに、それは、あたいが知っているいつもの優しい笑顔とはまったく違うものだった。


イングリッシュパーラー

2021/08/09

20. 海賊船

【アリアハン暦 1274年12月22日】

 ダムスの口添えで、彼の商人仲間の持ち船に乗せてもらい、十日前にバハラタの港を出た。
 カンダタの情報によれば、ランシールに、オーブかもしれない宝石がある。商人船が向かう地はランシールではないものの、同じ方向なので近くまで行けるなら充分だ。

 穏やかな航海が続いていた中、右舷からまっすぐこちらに向かってくる一艘の船に気づき、ぼくは眉をひそめた。警告を出しても、こちらの船に急接近してくる。

 商人船は不審に思い、全速力で振り切ろうとした。しかし、見る間に追い付かれ、船を横付けされてしまった。どうやら、海賊船らしい。
 
 縄ばしごをかけ、手際よく次々と海賊たちが甲板に乗り込んでくる。人数は30人程。商人は皆、両手を挙げて服従を示した。
 立ち向かえないこともなかったが、彼らに危害が及ぶ恐れがある。ぼくたちも抵抗せず機を窺うことにした。

 海賊の中にひとり、二十歳ぐらいの若い女がいて、値踏みするようにこちらを見つめている。その視線とかち合うと、彼女は白い歯をのぞかせて笑った。

「安心しな。お目当ては積荷でも、あんたらの命でもないからさ」

 短く髪を刈り込み、日に焼けた健康的な美女。海賊たちから「姐さん」と呼ばれているところを見ると、頭目なのかもしれない。
 彼女は、商人に手を出さない代わりに、ぼくたち四人に海賊船に来いと言う。

 否を言える状況ではない。バハラタの商人たちに、ここまで乗せてくれた感謝と詫びを伝え、ぼくと仲間たちは海賊船に乗り込んだ。

 てっきり捕虜になったと思い、反撃する隙を狙っていたのだが。
 海賊の女頭領だというオルシェは、意外な種明かしをした。

 驚いたことに、オルシェとカンダタは顔馴染で、ぼくたちを手伝ってやってくれと、カンダタから頼まれたそうだ。若干方法は荒っぽかったけど、海賊たちはオーブ探しに手を貸すために、商人船を止めたわけだ。

 タニアさんをバハラタへ送り届けた後、カンダタは子供たちが待つ聖なる洞窟へ戻って行った。ぼくたちには何も言わず、影で動いてくれたのだろう。

 そう思うと、じんわりと感謝の気持ちでいっぱいになる。
 盗賊だったカンダタ、海賊のオルシェ。人から物を奪うこと、それ自体は悪いことに違いない。けれど、彼らなりの正義を持っている。

 生きていくために、きれいごとだけではやっていけない。人には、いろいろな生き方がある。旅を続けていくうちに、時々ふと疑問が頭をかすめるようになった。

 正義とは、何なのだろう。そして、ぼくは本当に「勇者」なんだろうか。


イングリッシュパーラー

2021/08/08

19. 東方見聞録

幕間:カンダタの追想

(早く帰ってやらんとな……)

 肩にかついだマッドオックスを抱え直し、俺は野道を急ぐ。
 小型の牛に似たこいつは、肉が少し固いが、結構味はいい。

 腹を空かせたガキどもが待っているし、先日助けた娘はまだ脚が不自由な身だ。たんと栄養をつけさせて、早く怪我を治してやらねばならない。

 以前のように盗みをすりゃ、食糧も簡単に手に入るが、もう俺は盗賊から足を洗っていた。 シャンパーニの塔でこの俺を初めて負かした小僧は、オルテガの息子だと名乗った。勇者オルテガのひとり息子だ。

 あの後、俺はあれこれ考えた。塔から逃げた俺に追っ手をかけなかったのは、何故なのか。体力が消耗しきっていたにしても、ロマリア兵に俺を追わせることもできたはずだ。なにせ、俺もあのときはかなり痛手を負ったのだから。

 要するに、あえて見逃したのだろうという俺の推測は、あながち外れちゃいまい。

 いい目をした小僧だった。あの真っ直ぐさは、オルテガ譲りだろう。

 盗みを働くことに嫌気がさし、今ここでガキどもの世話をしている己の姿は、俺自身でも笑ってしまう。だが、それが不快ではないのは、あの小僧と出会ったせいか。

 いつかあいつは、父親を越える男になるかもしれない。その日を見届けたいと思うのは、俺としちゃ、えらく珍しいことに違いなかった。





 洞窟に戻ってきたその男は、ぼくたちの姿を認めた途端、表情を凍りつかせた。
 カンダタにとっても、思いも寄らない再会だったろう。

 タニアさんやリトには、カンダタとぼくたちはちょっとした知り合いだと告げた。カンダタが盗賊だったことには、いっさい触れない。
 慕っている子供たちの前で、過去の因縁を持ち出すのは酷だ。

 今日はもう遅い。カンダタは、明日タニアさんをバハラタへ戻すことを了承し、ぼくたちに洞窟に泊まるようにと場所を提供してくれた。
 もともとそれほど悪い奴じゃないと思っていたけど、その変わり身にやはり驚いてしまう。

 翌朝、まだ野道をひとりで歩くことは無理なタニアさんを軽々と肩に乗せると、カンダタは心配げなリトの頭をくしゃりと撫でて洞窟を後にした。

 バハラタへ向かう道中、ぼくたちは互いに特に口を開くこともなかった。タニアさんは、どこか不自然な空気を感じ取ったかもしれないが、あえて何も聞かない。

「お前、まだオーブを探してるのか?」
「え、あ、うん」

 ふいにカンダタに問われ、言葉に詰まる。

「ある筋から聞いたんだがな、ランシールの神殿にオーブがあるらしい」

 南の海にある島国、ランシール。ぼくたちのために、オーブの情報を集めてくれたようだ。思いがけない言葉に目を丸くしていると、カンダタは自嘲気味に笑った。

 信じるもよし、信じないもよし。

 ありがとう、とぼくは素直な気持ちで礼を言った。今のカンダタは盗賊ではない。タニアさんや子供たちに、不器用ながらも優しく接していたし、昨夜のマッドオックスの煮込みもとても美味しかった。

 それから後、バハラタにタニアさんを連れ帰った以降の話は、ぼくがここに詳しく書くつもりはない。ダムスが書き記してくれるだろうから。

 タニアさんとダムスはバララタで互いの無事を喜び合い、それを機に、聖なる洞窟の人さらいの噂も聞かれなくなった。
 さらに、バハラタとポルトガ間の黒コショウ貿易が始まった。

 貿易協定を成立させた功績で一躍有名人になったダムスは、ポルトガ王からも絶大な信頼を得て、王の勧めで東方の国バハラタを紹介する書物を記すそうだ。
 バハラタを訪れた旅人という体で書かれたその物語は、題名を『東方見聞録』という。


イングリッシュパーラー

2021/08/04

18. 聖なる洞窟

 タニアさんが行方不明になって、すでに10日経つ。
 バハラタ近くの森の中、精霊に守られ、唯一魔物が寄り付かない場所。そこに、人さらいの住処と噂される洞窟があった。彼女がいるとすれば、その洞窟だ。

 洞窟はすぐに分かった。とはいえ、中に踏み込んでいいものか躊躇してしまう。
 しばらく外から様子を窺っていると、洞窟の奥から若い女性が姿を見せた。
 
 水汲みに出てきたその女性は、木の桶を右腕に抱えながら、もう一方の腕で松葉杖をついている。足を痛めているらしい。
 女性は普通の町娘で、人さらいの仲間には見えない。

「あの、タニア……さん、ですか?」
「え、はい、そうですが」

 思い切って声を掛ければ、期待通りの答えが返ってきた。
 ぼくたちは事情を話し、ダムスがバハラタに戻ったことを伝えた。タニアさんは恋人の無事に安堵し、目に涙を浮かべている。

 薬草を摘んでいた時、彼女は崖に転落し、この洞窟に住む男に助けられたそうだ。命に別状はなかったが、怪我で歩くことができず、洞窟で養生させてもらっているのだという。

「みんな心配してるだろうと思ったのですが……。少し歩けるようになったので、カンダタさんに頼むつもりだったんです」

 涙を拭いながら、タニアさんが言った。
 思わぬところで出た思わぬ人物の名に、ただ呆気に取られる。カンダタとは、あのカンダタなんだろうか。

「……タニア姉ちゃん、誰か来たのか?」

 突然洞窟から10歳くらいの少年がひょっこり顔を覗かせた。

「ええ、バハラタから私を探しにきてくれた人たちなの。警戒しなくて大丈夫よ、リト」

 タニアさんがそう説明すると、リトと呼ばれた少年はジロリと鋭い目でこちらを睨んでくる。

「バハラタから、って。親父を捕まえに来たんじゃないのかよ」

 少年の言う「親父」とは、カンダタのことらしい。
 タニアさんは、森で怪我をしたり飢えた身寄りのない子らをカンダタがこの洞窟で保護しているのだと、教えてくれた。

 カンダタは人さらいをしてるわけじゃない。シャンパーニの塔を出た後、盗賊から足を洗い、この地で子供の面倒を見て、人助けをしていた。
 あまりに意外な事実に、ぼくたちは言葉もなかった。


イングリッシュパーラー

2021/08/03

17. 人さらいの噂

【アリアハン暦 1274年11月23日】

 ポルトガを発ってからひと月後、広大なバルト河を前にしたとき、思わず感嘆の溜息がもれた。この大河の川幅は、アリアハン城がふたつは建てられるほどに広かった。

 河辺を住処にしているドルイドや、凶暴な巨大猿のキラーエイプ。出没する魔物たちも多く、確かに護衛でもいなければ、普通の行商で陸路は危険過ぎる。

 バルト河を川沿いに1日ほど歩き、ようやくバハラタの町に到達した。
 町中では、緩やかな河のところどころで沐浴をしている人を見かけた。ダムスが言うには、あれは身を清める「みそぎ」と呼ばれる習わしらしい。

 道具屋を営むダムスの家では、母親が息子の帰りを一心に待っていた。何ヶ月ぶりかで戻った彼を、ダムスの母親は涙ぐんで抱きしめる。
 その姿に、アリアハンにいる母さんの姿が重なり、ちくりと胸が痛む。きっと、母さんもこんなふうにぼくのことを待っているんだろう。

 ダムスの母親は、ぼくたちに何度も感謝の言葉を述べた後、ふっと表情を曇らせた。

「実は、タニアのことなんだけど……」
「タニア? 彼女に何かあったの!?」

 言い淀む母親に、ダムスは顔色を変えて問い詰める。それは、ダムスにとってひどく衝撃的な話だった。

 10日程前、彼の恋人タニアが、薬草を摘みに森へ出かけたきり戻って来ないのだという。
 魔物に襲われたのか、あるいは人さらいに遭ったのか。

 最近、バハラタ近辺で、親のない子供たちがいなくなる事件が起こっているとのこと。そのため、森に人さらいが住み着いているのだと物騒な噂が広まっていた。

 助けに行くと言い張るダムスに、ぼくたちがタニアさんを必ず連れて帰るから、町で待っているようにと説き伏せる。ダムスはしばらく一緒に旅をした仲間だ。放ってはおけない。

 居ても立ってもいられない気持ちはよく分かる。でも、同行に簡単に応じられるほど安全な場所でないことは、ダムスも、いやむしろダムスの方がよく分かっているに違いない。


イングリッシュパーラー

2021/08/01

16. バハラタへ

【アリアハン暦 1274年11月5日】

 バハラタへ向かう陸路で、一番の難所がアッサラーム東のバグラ山系だ。魔物も襲ってくる中での山越えは、商人のダムスにはきつい。
 そのため、適度に休みを入れながら、夜はいつも早めに野宿の準備に取り掛かる。

 夜半過ぎ、カダルと見張りを交代するためぼくが起き出した頃、カダルはダムスと火の側で語らい合っていた。何日かともに過ごせば、気心も知れてくる。

「へえ。じゃあ、恋人がバハラタで待ってるんだ」
「ええ。きっとタニアは、ぼくが戻らないので心配してるでしょう」

 二人は、ダムスの故郷、バハラタのことを話していたらしい。ぼくは見張りの交代をカダルに告げ、ダムスにも寝るように促した。眠っておかないと、明日の行程が辛くなる。

「恋人かー。いいなー、なあ、アレル」
「なんで、ぼくに振るんだよ」

 寝床へ向かいつつ、カダルが同意を求めてくる。

「こんな旅してたら、恋もできないよな。そうだろ、アレル」
「……だから、なんでぼくに振るんだ」

 いつにも増して、カダルの様子がおかしい。村を出る時、女の子たちにさんざん泣かれただのなんだのと話すカダルの横に、酒瓶が転がっていた。気付けや火をおこすために、わずかながら常備していたものだ。
 たいした量ではないけれど、カダルはそれを飲んで、こうなったに違いない。

「まったく……。フルカスたちには黙っててやるから、早く寝ろよ」

 呆れて空瓶を拾い上げるが、カダルはいっこうに口を閉ざさなかった。

「アレルも16だよなー。その歳まで好きな奴いないってのも、なんだかなー」

 半分絡み酒だ。このままでは埒が明かないと思い、仕方なく眠りの呪文ラリホーを唱える。 静かになったカダルに毛布を掛けて、ぼくはひとり火の番に付いた。


幕間:アレルの追想

 時折、不思議な夢を見る。

 今よりも少し大人になったぼくが、大きな鳥の背に乗り、大空を飛んでいた。その横に寄り添うようにして、ぼくに笑いかける女性。
 炎のように紅く長い髪が、柔らかに風になびく。けれど女性の顔は思い出せない。夢なんて、そんなものだろう。

 夢の中のぼくは、そのひとをとても大切に思っている。朝目覚めたときに、まだ胸に残る苦しいほどの切なさが、それを物語っていた。

 また、ある夜の夢では、ぼくは別のぼくだった。以前より少し距離を置いて、それでもやはり、その女性はぼくの傍にいた。
 互いの立場が少し違うらしく、そのひとの前にぼくは片膝をついて仕えている。隣に並び立つことができなくても、気持ちはずっと変わらない。多分、彼女のほうも。

 旅に出てから、この夢を見ることが増えた。
 あるいは、何かの暗示で、旅を続けていれば、いつかその女性に会えるのかもしれない。

 けれど、霧の中を歩くかのように、はっきりしたものは何も見えなかった。


イングリッシュパーラー

2021/07/31

15. 港町ポルトガ

【アリアハン暦 1274年10月20日】

 イシスを後にし、ぼくたちはポルトガという港町を目指した。北大陸から大海を渡らねばならないのだが、そのための船はポルトガからしか出ていない。

 岩山に囲まれたその港町への唯一の街道は、ロマリアから入るしかなかった。 
 ロマリア・ポルトガ間の街道は、岩山をくりぬいて作られたトンネルになっている。 岩山のトンネルを抜ければ、そこはすでにポルトガ領だ。

 三方が大河に囲まれているため、昔から造船が盛んだという。ポルトガの漁港には多くの船が停泊し、魚が陸揚げされていた。
 新鮮な魚料理をふるまう料理屋が軒を並べ、ちょうど昼時ということもあり、あちこちからいい匂いが漂う。

 こじんまりした食堂に入ったぼくたちは、テーブルに並べられた料理に舌鼓を打った。野菜と豆の煮物、具だくさんのシーフードスープ、大きな葉で巻いた蒸し魚。
 どれも美味しいけど、なんだか味が物足りない。香辛料を使っていないからだろう。

 料理を運んでいる店員に尋ねてみると、この国には黒コショウがないそうだ。
 美食家として知られるポルトガ王は、黒コショウを手に入れるため、原産地バハラタと貿易協定を結びたがっている。だが近辺は魔物たちが多く、うまくいかないらしい。

昼時のピークが過ぎても、ぼくたちが入った店は客足が途絶えることはなかった。
 食事を終えた頃、決して静かとはいえない店内で、ひときわ大きながなり声が奥のテーブルから聞こえてきた。

 騒いでいるのは、いかにもチンピラといった風体の男。グラスの水が服にかかったのどうのと、若い商人風の男に難癖をつけている。
 他の客たちは見て見ぬふりを決めこみ、店員はおろおろとするばかり。ぼくは椅子から立ち上がると、彼らの間に割って入った。

「やめてください。他のお客さんに迷惑です」
「なんだ、てめぇは?」

 チンピラ男は酒臭い息を吐きかけて、ぼくをじろりと睨んできた。昼間から、酔っ払っているようだ。

「手加減してやれよ、アレル」

 席を立つこともなく、フルカスがしれっと声をかける。カダルもフォンも、手を貸してくれる気はないらしい。

(……いいけどね)

 軽く肩を竦めたぼくを見て、バカにされたと思ったんだろう。男は、禿げかかった広い額に青筋を立てて殴りかかってきた。
 拳をひょいと避け、男のみぞおちを剣の柄で打つ。チンピラ男は、低く呻いてあっけなくのびた。

 他の客や店員たちが拍手をくれる中、からまれていた商人の青年は、ぼくに深々と頭を下げて何度も感謝の言葉を口にする。

 青年は、バハラタの商人でダムスと名乗った。黒コショウの産地として知られる東方の国バハラタから、黒コショウ貿易の契約を取り付けにやってきたのだという。

 上手く契約がまとまり、目的は果たせたものの、魔物の被害で、当面ポルトガからの船の運航が休止になり、バハラタに戻れなくなったのだとか。つまり、ぼくたちも、海を渡る手段を絶たれたことになる。

 互いに状況を確認し合ううち、ダムスはひとつ提案してくれた。海路が無理でも、バハラタまでなら陸路がある。
 海以上に魔物が多いため、とても商人一人では無理だが、ぼくたちが同行し、バハラタへ行けば、そこから海を渡る船を出せるとのこと。まさに渡りに船の話だ。


イングリッシュパーラー

2021/07/28

14. ピラミッドの迷宮

【アリアハン暦 1274年9月26日】

 ピラミッドへ向かうにあたり、イシスの女王は、内部は危険だからと、一振りの立派な剣をくれた。剣先が斧のような形をした『雷神の剣』。
 アッサラームで買うことができなかった大ばさみより強力な武器だ。大き過ぎてぼくには扱えないが、フルカスにはちょうどいい。

 街で水を補給し、装備を整え、再びぼくたちは熱砂に踏み出した。
 ピラミッドまでは、魔物に襲われることなく行き着いた。近くまで行くと、石造りのその建造物はあまりにも大きく、思わず息を飲む。
 一体これを作るのに、どのくらいの年月を費やしたことだろう。

 ピラミッドの内部は、外の暑さが信じられないくらいにひんやりしていた。
 カビくさく、陰湿な気配。どこか、死の匂いがする。

 迷路のようになった薄暗い通路を、松明をかざして慎重に歩いていく。なにせ、落とし穴や無限回廊といった罠が随所にある。地図にしるしを付けながら、自分たちのいる位置を割り出して進んだ。

 魔物もあちこちに潜んでいた。窪んだ眼窩の、死に切れない屍。魔の命が吹き込まれた、マミーと腐った死体だ。

 フルカスが雷神の剣を唸らせると、パチパチと稲光が走った。フォンの回し蹴りが腐った死体を直撃し、カダルが真空呪文バギマを放つ。戦いの熱気に刺激されたのか、ユラユラと揺らめく怪しい影までも次々と集まってきた。

「走ろう、キリがない!」

 怪しい影を斬り裂き、ぼくは皆に叫ぶ。
 狭い通路は、淀んで胸が悪くなりそうな空気が充満していた。おどろおどろしく、粘ついた空間。こんな場所に長居すれば、判断力も鈍る。ミイラ取りがミイラになりかねない。

 魔物と濁った空気と戦いながら進んでいくうち、ようやく通路が一本道になった。
 辿り着いたのは、大広間のような場所。そこに幾多の棺と宝箱があった。ところが、宝箱はどれも空っぽ。すでに墓荒らしに持ち去られたらしい。

『ファラオの眠りを妨げるのは誰だ……』

 ふいに頭の中に直接届くような、低いうめき声が聞こえた。次いで、棺から王たちのミイラが一斉にゆらりと立ち上がった。

 骨と皮ばかりの亡骸。王たちも魔物と化している。ピラミッドにはとてつもない邪気が満ちているのだから、無理もない。
 朽ちた体は、ただ侵入者を追い払うためにだけ機能する。哀れな妄念の塊だ。

 ぼくは強く握った右の拳に力を集め、ベギラマを唱える。掌から放たれた火炎は、炎の壁となってミイラたちを取り巻いた。 
 聖なる火によって、今度こそ彼らの魂が天に召され、心の平穏が訪れるようにと願う。

 のんびりしてる暇はなかった。充満する黒煙の中を抜け、ぼくたちは出口へと走る。
 どうにか外へ出た途端に、今度は砂漠の太陽が肌をじりじりと焼きにかかる。

 仲間たちは皆、ぐったり疲れた顔をしていた。ぼくもまた、額の汗を拭って、小さく溜息をつく。
 結局、ピラミッドにオーブはなく、まったく無駄足だった。


イングリッシュパーラー

2021/07/27

13. イシスの女王

【アリアハン暦 1274年9月24日】

 イシス砂海をほぼひと月かけて進み、ようやく目指す緑の地が視界に入った。
 砂漠の中、オアシスに囲まれた緑ある国、イシス。

 代々女王によって治められてきたこの国は、かつて世界を巻き込んだ戦争にも不参加を表明したという。砂漠の中にあり、孤立している反面、平和が保たれた国だ。

 街には、人々の命を支える貴重な水源として、ところどころに井戸や泉が作られている。
 イシスの女王パトラは、長く艶やかな黒髪が白い肌と見事な対照をなす、絶世の美女だった。

 女王の美貌は、国の宝。街でそんな声を耳にしたが、それも頷ける。けれど女王自身は、華やかな評判とは裏腹に、どこか寂しげな微笑を浮かべていた。

 謁見したぼくたちは、旅の目的を話し、オーブについて尋ねた。
 何年か前、父さんもこの城にやって来たという。女王もオーブのことは知らなかった。ただ、歴代の王たちの墓であるピラミッドには多くの宝物が納められており、副葬品にオーブがまぎれている可能性もあるとのこと。

「父は……オルテガは、ピラミッドを探したんですか?」
「いいえ。あの方は、王の眠りを妨げたくないと仰って、別の場所へ行かれました」

 女王はとても切なそうな眼差しをぼくに向ける。
 オーブ探しをいったん切り上げ、父さんは、サマンオサの勇者サイモンと合流すると女王に告げたそうだ。

 ピラミッドの中は、今や多くの魔物が巣食う。墓荒らしのようなまねはしたくないけど、せっかくここまで来たのだから、確かめておきたい。
 女王の許可をもらい、ぼくたちはピラミッドを探索することにした。


幕間:女王パトラの追想

 オルテガ様の息子が、オーブを求めて謁見を申し出てきた。七年前、オルテガ様がこの城に立ち寄られたのと同じく。

 ピラミッドには数々の副葬品が収められている。その中にオーブがあるかどうか、私にも分からない。
 歴代の王たちが所持していた数多の宝物は、誰も目にしたことがない。秘密を守るために、ピラミッド建設に関わった多くの人々の命が奪われたから。

 なんと呪わしいことか。ピラミッドが魔物の巣窟と化したのも、当然の報い。
 王たちの念が、魔を引き寄せたのだろう。

 ――アレル。この少年は、やはりオルテガ様とよく似ている。
 サマンオサの勇者サイモンと落ち合うため、ギアガの砦に向かうと言われ、イシスを去って行かれたオルテガ様。癖のない黒髪。引き込まれそうな双眸。意思の強そうな口元。全てがそっくり。

 思い返し、涙がこぼれ落ちた。私は人知れず涙を流す。
 オルテガ様の死の報せを受けた、あの時のように。


イングリッシュパーラー

2021/07/25

12. 酷暑

【アリアハン暦 1274年9月中旬】

 砂地を行くのはきつい。街道を歩く何倍もの体力が奪われてしまう。

 何よりも参るのは、この暑さ。夏の盛りは過ぎたとはいえ、まだ毎日猛暑が続いている。砂漠を渡るには最悪の季節だ。朝から気温はぐんぐん上がり、昼下がりには息苦しいほどの暑さになった。

 乾いた熱い風が吹いて、足元からは太陽の熱が照り返す。体が焼かれるような感覚。
 流れる汗で砂が肌に貼りつき、不快感を殊更高めた。

「あちぃー! なんて暑さだよ」
「飲みすぎるなよ。まだ先は長いんだ」

 喉を鳴らして水筒から水を飲むカダルに、フルカスが釘を刺す。

 水は小分けして、多めに持ってきた。イシスに着くまで大丈夫だとは思うが、砂漠では何が起こるか分からない。

 砂嵐が吹き荒れて、数日間一歩も進めないこともあった。疲れきったぼくたちの様子などお構いなしに魔物たちは襲ってくる。

 砂嵐が過ぎた夜、地獄のハサミと呼ばれる巨大なカニが野営地に押し入ってきた。砂漠の魔物は、守りが堅く厄介なやつが多い。

 カダルはカニの硬い甲羅の守備力を下げる呪文を唱えた。火を絶やされ、明かりのない暗闇の中、魔物の気を察知して突きを繰り出すフォン。

 敵の姿が見えなくとも、フルカスは裂ぱくの気合いを込めて、剣を振り下ろす。脆くなった魔物の甲羅は、一撃で音を立てて砕かれた。
 フルカスの剣は、一段と威力が増したようだ。


イングリッシュパーラー

2021/07/18

11. アッサラーム

【アリアハン暦 1274年8月中旬】

 父さんが向かったというイシスの国。
 ロマリア王の話によると、イシスのピラミッドにはたくさんの宝物が眠っているのだとか。父さんは、オーブがそこにあると見当をつけたのだろう。

 アリアハンを発って、すでに四ヶ月が過ぎていた。海峡を越え、北大陸から中央大陸へ。

 イシスへ行くには、砂漠を越えることになる。
 途中、重装備のキャラバンに出会った。キャラバンは、商人の他、護衛のために雇われた戦士や魔法使いたち、総勢20人ほどの大規模なもので、12頭のラクダを従え、その背に様々な武器や防具を積み込んでいた。

 キャラバンの隊長はフルカスと同じくらいの年で、大柄な戦士だ。彼は、砂漠の魔物は強いので気をつけろ、と忠告してくれた。今のぼくたちの装備では心もとない、とも。

 隊長が見せてくれた大ばさみという武器は、大きな刃が二枚ある。重過ぎてぼくには使いこなせそうにないが、フルカスはその武器に興味を持ったらしい。


【アリアハン暦 1274年9月1日

 ロマリアを出発して22日目。
 日が西に傾く頃、イシスとの中継地点、アッサラームに到着した。

 この街はさまざまな店が立ち並び、とても活気に満ちている。夜になるとさらに賑わい、明け方まで楽しめる歓楽街だという。

 武器を探しに、ぼくたちは派手な看板を掲げた武器屋を覗いてみた。

「おお、ワタシの友達! お待ちしてました!」

 五本の指すべてに華美な指輪をはめた中年男が、もみ手をしながら店の奥から現れた。  身なりも態度もなんとなくうさんくさい上、店にある品も、とんでもない高値が付けられている。

 大ばさみが8000ゴールド。キャラバンの隊長が教えてくれた相場とは、ほど遠い金額だ。フルカスのために買いたかったけど、こんなに値が張るんじゃ、とても手が届かない。

 武器を諦め、宿屋の手配を済ませた頃には日が暮れかけていた。
 物珍しく思いながら、ますます活気づいていくアッサラームの街を仲間たちとともに散策する。
 夜にこんなに賑わっているなんて、アリアハンでは考えられない。

 ひときわ大きな店は、街の中心にあるナイトクラブ。中を覗いてみると、ルイーダの酒場とは比べ物にならないほど広い。
 前方に設けられた舞台の上では、ベリーダンスが始まっていた。

 舞台の近くは既に満席状態だったものの、壁際のテーブルが空いていると言われ、よく分からないうちに椅子に座っていた。踊り子たちと観客が醸し出す熱気に、頭がのぼせそうになる。

「そら、冷えててうまいぞ」
「……ビアーだろ、それ」

 躊躇するぼくのグラスに、フルカスが琥珀色の飲み物を注ぐ。
 アリアハン法では、成人と認められるのは十六歳。法律上、ぼくは酒を飲める年齢に達している。アッサラームではどうか知らないが、この場所に咎められず入れたことを思うと、おそらく大丈夫なんだろう。

 ぼくはビアーを少しずつ口に入れた。初めて飲む冷たいそれは、火照った体に染み渡り、喉を潤してくれる。

「あんたは駄目よ、カダル」

 ワインに手をのばそうとしたカダルは、フォンにグラスを取り上げられた。十五歳のため、あとわずかに年齢が足りない。

「ひでえっ! 俺だって、アレルとそんなに違わないのに」

 ジュースを押し付けられ、カダルが不貞腐れる。正直、酒はそんなに美味しいと思わないので、ぼくもどちらかというとジュースのほうがいいんだけど。


イングリッシュパーラー

2021/07/17

10. ノア二ールの村

 盗品の詰まった宝箱を馬の背に積み、シャンパーニの塔を後にして、ロマリアへ戻る。

 妖精の姿が映るあの不思議なルビーは、『夢見るルビー』だと文献で分かった。もとはエルフの至宝らしい。
 いつどうやってカンダタの手に渡ったのかは分からないものの、残された手紙から、エルフの娘が持っていたのだろうと推測できる。

 当初は、まっすぐイシスへ行く予定だったが、夢見るルビーをエルフに返さねばならない。とはいえ、エルフの隠れ里の場所など見当もつかないし、唯一の手掛かりはノアニールの村にある。

 礼をしたいからと王に引き止められ、数日ロマリア城に滞在した後、ぼくたちはノア二ールへと向かった。


【アリアハン暦 1274年6月下旬】

 カザーブの北、北大陸北西の半島に、ノア二ールの小村があった。

 朝靄のかかる中、村に入って、言葉を失ってしまう。
 そこは、まさに動くものが何一つない、止まった村だった。風の流れさえも感じられない。

 道の真ん中で、店先で、村人や動物たちがすべてが眠っている。死んでいるわけではなく、みな仮死状態だ。
 通りに面した広場には、手を取り合ったエルフと人間の彫像が建てられている。

 『エルフと人間の交流を願って』

 碑文に刻まれているのは、ノアニールの村人たちの願いだろう。
 ぼくは、アンの手紙と一緒に、夢見るルビーを像の前に置いた。いつかこの彫像のように、エルフと人間が仲良くなれる日が来ればいい。そう祈りながら。


幕間:ノアニールの司祭

 長きに渡り、時を止めていたノアニールの村が再び動き出したのは、四人の旅人たちのおかげだろう。
 彼らは、この村が目覚めるほんの少し前に、村を去ってしまわれた。村全体の時間が進み出したその瞬間を、彼らが目にすることはなかった。

 そして、眠りから覚めたノアニールが、これから受けることになる様々な試練もまた、知る由もない。

 止まっていた時間はあまりにも長く、そのため、目覚めた後の揺り返しがどれほどのものか。外界の者には想像もつくまい。
 我々ノアニールの民は、厳しい現実に耐えていかねばならぬ。

 といって、あの四人の旅人を恨んでいるのでは、決してない。
 止まった時間は、いつかは動く。穏やかな眠りの時間が長ければ長いほど、夢の終わりに待ち受ける痛みは大きいものだ。

 彼らには、心から感謝を捧げたい。時間から置き去りにされていた、このノアニールを救ってくれた若き勇者たちに。
 どうか、ご武運を。


イングリッシュパーラー

2021/07/14

9. 決着、そして

 ギリギリのところで、形勢が逆転した。火傷を負ったカンダタに、反撃の様子はない。
 とはいえ、ぼくのほうも、フルカスに肩を借り、やっと立ち上がれるような状態だった。

「ちっ、仕方ねぇ……。探し物は、そこの宝箱の中だ。勝手に持ってきな」

 床にのびている子分たちに目をやり、カンダタは吐き捨てるように言った。

「オーブ……、もあるのか?」
「オーブだぁ? そんなもんあったら、ここにはいねえよ」

 言い方からすると、カンダタもオーブの存在を知っている。
 底の知れない男だ、と思った。剣技では、ぼくはカンダタに太刀打ちできなかった。こちらを殺す気などなく、ある程度痛い目を見せて、諦めさせるつもりだったのだろう。

 部屋の隅には、衣装箱ほどの大きさの宝箱があった。鍵が掛かっていたが、フルカスが剣の柄で叩くと鍵は簡単に外れた。

 宝箱の中には、数多の宝石に埋まるようにして、金の冠が入っていた。その傍に、ひときわ輝く長方体の赤いルビーがある。

 ルビーを手に取り光にかざすと、どういう仕掛けか、内側に妖精の像が映って見えた。下に、四つ折りにした古い手紙が一緒に置かれている。

『わたしたちはエルフと人間
この世で許されぬ愛なら、せめて天国で一緒になります
   アン』

 手紙には、そう書かれていた。
 エルフと人間  そこで、ふと、カザーブで聞いたノアニールの話を思い出す。

 ほんの少しの間、ぼくたちは宝箱に意識が向いていた。なんとその隙に、忽然とカンダタの姿が消えていた。

 ここは塔の最上階。通路を見回しても、誰もいないばかりか足音も聞こえない。
 窓辺を確認し、頑丈そうな縄が地面に届くほどに垂れ下がっているのに気付く。どうやら、見事に逃げられてしまったらしい。


イングリッシュパーラー

2021/07/13

8. シャンパーニの塔

 カザーブの村で、不思議な話を耳にした。

 ここより北にある、ノア二ールの村では、人間はもちろん、すべてが眠り、時間が止まっているという。
 最近のことではなく、もう何年もずっと。村が、エルフの呪いを受けたと噂されている。

 近隣にエルフの隠れ里があり、ノアニールの村の青年とエルフの女王の娘が愛し合うようになった。けれど、しょせんはエルフと人間。
 エルフの女王に咎められた娘は、エルフの宝を持って青年とともに姿を消し、悲しみにくれたエルフの女王は、人間を恨み、ノアニールの村に眠りの呪いをかけたのだ、と。

 なんだか、まるでおとぎ話だ。


【アリアハン暦 1274年5月下旬】

 この辺りの地理に詳しいフォンに先導してもらい、西に向けて馬を走らせた。

 カンダタの根城、シャンパーニの塔は、沿岸ぎりぎりに位置する強固な石造りの塔だった。海を背にした塔は、背後から攻め込まれる心配がない。

「ここで待っていてくれよ」

 ぼくは少し離れた藪の中に馬をつなぎ、不安そうな目を向ける馬のたてがみを撫でた。

 塔の外に見張りの姿はなく、難なく内部へ入れた。中は見た目より広く、階ごとに小部屋がいくつもある。人がいるのかいないのか、物音は何もしない。

 気配を探りながら、最上階まで上ると、明かりがもれている部屋があった。大勢の男たちの話し声が聞こえ、ぼくは仲間たちと顔を見合わせて頷いた。

「なんだ、てめえらは!?」

 いきなり飛び込んだぼくたちに、さすがに驚いたのだろう。頭巾をかぶった大男が、低い声をとどろかせた。

 ロマリアの近衛隊が見せてくれた、手配書の男。カンダタに違いない。
 周囲にいる手下は、10人程。

「ぼくは、アレル。勇者オルテガの息子だ! 金の冠を返してもらおう」
「オルテガの? いい度胸だが、素直に返すと思うのか」

 お決まりの台詞と同時に、飛んでくる鋭い手刀。危うくかわしたが、カンダタは巨体に関わらず身のこなしが速い。子分らの相手をフルカスたちに任せ、ぼくはカンダタと対峙する。

 カンダタの拳の先に何かが閃き、咄嗟に剣を抜いて受け止めた。キンと甲高い音とともに、三本のかぎ爪が剣と絡み合う。武闘家が使う武器『鉄の爪』だ。

 鉄の爪が脇腹をかすめた時、革の鎧がぱっくりと口を開いた。滲み出す血に、冷や汗が流れる。力では、到底敵わない。
 肩や腕を鉄の爪が切り裂いていく。けれど、殺す気はないのか、とどめを刺そうとはしない。

 かぎ爪の方に気を取られ、カンダタの左手から繰り出された突きをもろに食らった。痛みに体を折り曲げたぼくの手から剣が落ち、カランと床に転がる。

「悪ぃな、小僧」

 鉄の爪を外し、これで終わりとばかりに腹を蹴り上げようとする。
 カンダタの足が近づいたその瞬間、ぼくは残った最後の力でメラの火球を放った。


イングリッシュパーラー

2021/07/11

7. カザーブの村

【アリアハン暦 1274年5月中旬】

 ロマリア西部には、険しいロマリア山脈が連なる。カンダタが潜伏しているシャンパーニの塔へ行くには、北回りに迂回しなければならない。

 ロマリアの近衛隊と対策を練り、北にあるカザーブの村を経由して行くのがよいという話になった。
 隊を率いて一緒に行くと言い張る近衛隊長を押し留め、ぼくたち4人だけで向かうと告げる。大勢で動くのは、あんまり得策じゃない。

 ロマリアで食料と馬を調達し、まずはカザーブを目指す。
 街を出てすぐに、イモムシのような形のキャタピラーとゾンビ化した野犬バリィドドッグの群れに襲われた。

 バリィドドッグは、こちらの守備力を下げるルカナンの呪文を使う。奴らの鋭い爪で、革の鎧は簡単に引き裂かれた。
 この付近は強い魔物たちが出没する。魔物に苦戦を強いられ、予定より数日遅れてカザーブの村に着いた。

 カザーブは、フォンの生まれ故郷。山間のわずかなすきまにあるその村は、とてものどかだった。


幕間:フォンの追想

 カザーブには、たくさんの思い出がある。孤児だったあたしを育て、拳法と気功術を教えてくれたのは、名高い武闘家だったキライ老師だ。

 老師はことあるごとに、あたしに言った。
「いつの日か、闇払う勇者が現れる。その時、お前の力が必要になるのだ」と。

 子供の頃は、その意味が分からなかった。分からなくても、拳法が好きだったから、修行に励んできた。

 そして老師は、あたしにアリアハンへ行くよう告げた。老師が既に病魔に身体を蝕まれていることを、あたしは気づけなかった。

 故郷を訪れたところで、老師はもういない。勇者も、運命も、関係ない。あたしは自分の力を試したいだけ。

 それでも、こうして勇者オルテガの息子と旅をしているのは、少しでも老師への恩返しになるかもしれない。


イングリッシュパーラー

2021/07/10

6. 宝珠(オーブ)

【アリアハン暦 1274年4月20日】

 街の大通りをまっすぐ進んだところに、ロマリア城がある。見事な彫刻が施された真っ白い城門、頑丈そうな吊り橋。
 アリアハン城も美しく荘厳だが、この城はそれ以上だ。

 街は、最近、カンダタという盗賊の噂で持ちきりだった。
 ロマリアの城までも盗難に遭い、城内の宝物をごっそり持ち去られたという。あろうことか、王の象徴である金の冠までも。

 カンダタは、西にあるシャンパーニの塔を根城にして、付近の町や村を荒らしまわっているらしい。貴族や金持ちばかりを狙うので、巷では義賊ともてはやす者もいる。

 ロマリア王チャトブラン三世はアリアハン王の盟友。父さんも、ロマリア王とは面識があったと聞く。

 恰幅がよく、黒い鬚をたくわえたロマリア王は、どこかいたずらっ子のような雰囲気だった。そしてぼくの顔を見ては、本当にオルテガに似ている、と何度も仰られた。

「アレルよ。わしは前からそなたのような若者を跡取りにと思っておったのだ。どうじゃ、ここに落ち着き、わしの代わりに国を治めてくれぬか」

 いきなりそう言われた時には、驚いたなんてものじゃない。本当にこの王様は冗談好きで気さくな方だ。

 それでも、カンダタの話になると、眉間にしわを寄せて表情を曇らせた。金の冠だけでなく、カンダタは世界中の貴重な宝を盗み集めているという。

 父さんは旅の途中にロマリアへ立ち寄り、『オーブ』を探すため、イシスの国へ向かうと告げたそうだ。ネクロゴンドへ行くには、オーブが必要なのだとか。

 金の冠を取り戻して欲しい、もしかすると、父さんが探していたオーブもカンダタに持ち去られているかもしれない。
 真剣な顔で王にそんな風に頼まれては、さすがに断るわけにはいかなかった。


イングリッシュパーラー

2021/07/07

5. ロマリア

 魔物を倒しながら、薄暗い洞窟を進む。ようやく辿り着いた洞窟の最奥にあったのは、石造りの井戸のようなもの。中には澄んだ水がたたえられていた。
 レーベの長老の話によれば、これが旅の扉だ。

 旅の扉に飛び込んだ時、暖かな光が体の中を通り過ぎるような感覚があり、次の瞬間、まさにほんの一瞬の間に、ぼくたちは海を越えて一面の草原の中にいた。

 夢かと思ったけど、夢ではない。頬をなでる風が、少し冷たかった。

 扉は、一方通行にしか開かない。周囲を見回しても、旅の扉の形跡はどこにも見つからなかった。

 もう日が落ちかけ、じき夜が来る。
 西の方角に小さく城が見えた。ロマリアだろう。

 暗くなる前に街へ着かないと、また魔物に襲われかねない。疲れた体を引きづるようにして、ぼくたちは城を目指して歩き出した。



 ロマリアは、北大陸最大の国で、城を中心とした城塞都市として知られる。
 日が暮れても街は賑わい、開いている店も何件かあった。ふと見ると、大通りの魚屋の店先に、青っぽいクラゲのようなものが並べられていた。

「そこの旅の人。ロマリア名物マリンスライムはどうだい」

 店の主人が、濡れた手をエプロンでぬぐいながら勧めてくる。
 両手で口元を押さえるカダルの横で、ぼくも思わず顔をしかめそうになった。しびれクラゲと違ってマリンスライムに毒はなく、案外珍味らしい。
 そう言われても、到底食べる気は湧いてこないけれど。

 宿屋では、ぼくたちがアリアハンから来たと告げると、たいそう驚かれた。旅の扉が閉ざされて以来、アリアハンからの旅人はとても珍しいのだそうだ。

 十年ほど前に屈強な勇者がひとり、アリアハンから来たのが最後だった、とのこと。

「勇者……どんな人ですか?」
「名前は忘れたが。そういえば、お前さんにそっくりだよ」

 宿屋の主人は、よく覚えていると言って、旅人のことを話してくれた。
 癖のない黒髪、澄んだ暖かな双眸、穏やかな立ち居振る舞い。それは、ぼくの記憶にある父の姿とまったく同じものだった。


イングリッシュパーラー

2021/07/06

4. 幕間:フルカスとカダルの追想

フルカスの追想

 アリアハンにこの人ありと言われた、歴戦の勇者オルテガ。その偉大な勇者に、俺は子供の頃から憧れていた。

 腕が立つだけじゃない。あの人は他人を包み込む温かさ、思いやり、そして信念を貫き通す強い意志と、勇気を持っていた。

 魔物と闘い、火山の火口に落ちて死んだというが、俺には信じられない。あれほどの勇者が。

 ノヴァク王から頼まれるまでもなく、俺も勇者オルテガの意に添い、魔王討伐の旅に出たいと考えていた。
 そして今、ようやく念願が叶った。

 オルテガの息子は、少しづつ腕を上げてきてはいるが、まだとても勇者とは呼べず、父親に遠く及ばない。

 それでも、いつの日か立派な勇者になるのだろうか。
 オルテガのように、誰をも惹き付けるような、強く優しい男に。


カダルの追想

 レーべで忠告された通り、いざないの洞窟の中は魔物がゴロゴロいた。

 最初に襲ってきたのは、毒の息を吐くバブルスライム。それを、フルカスが一刀両断。フォンも強い。なんでも、魔物の “気” の流れを読むことができるんだとか。

 アレルは、やっぱり、あのオルテガ様の息子だ。回復魔法まで使えるとは思わなかった。
 今のところ、幸か不幸か、おれの出る幕はそんなにない。

 おれの両親は、ずっと昔魔物に殺された。人が死ぬのはもう見たくない。おれは神父のじいちゃんの跡を継いで、僧侶になった。僧侶なら、回復魔法を使えるから。

 唯一の身内だったじいちゃんも魔物に襲われて、おれは魔物に復讐を誓った。

 ルイーダの酒場で勇者オルテガの息子に出会えたのは、神様のお導きってやつだろう。
 攻撃魔法は、少し前に真空呪文のバギマを修得した。もっともっと強力な攻撃呪文を使えるようになりたい。

 まずは、魔物だらけのこの洞窟を抜けるのが最初の修行だ。


イングリッシュパーラー

3. いざないの洞窟

【アリアハン暦 1274年4月17日】

 通りを行き交う人々、店の賑わいや立ち並ぶ家々。
 そんな当たり前の光景が、なんだかうれしい。

 ようやくレーべに着いたぼくたちは、村の宿屋で久しぶりに安心して体を休めることができた。

 食堂で夕食をとった後、ベッドに腰かけて、ぼくはこの記録書を書いている。
 ひどく眠いので、横になったらすぐ眠ってしまうだろう。


【アリアハン暦 1274年4月18日】

 海を越える方法は、ただ一つ。いざないの洞窟にある『旅の扉』を通れば別の大陸に出られると、レーベの長老が教えてくれた。

 洞窟がある岩山は、村からでも一望できる距離だ。しかし途中の岩場は険しく、いざないの洞窟は今や魔物の巣窟となっている。

 ぼくたちはレーべの道具屋で、山越えに必要な装備を整えることにした。

 こんなの似合わないのに、とカダルはぶつぶつ文句を言いながらも、新調した革の鎧を身に着ける。ぼくも、旅人の服から革の鎧に着替えた。

 フルカスは近衛兵の立派な鉄の鎧を着けているし、フォンは重い鎧など邪魔なだけらしい。速さが落ちるほうが、武闘家にとっては命取り。そう言って、鎧はおろか防具さえ持とうとしない。
 確かに、鎧を身に着けているぼくたちは、彼女ほど身軽には動けないのだが。

 朝のうちにレーベを出発して、正解だった。

 まさか、切り立った岩山を、わずかな足場を頼りに何時間もかけて登るはめになるとは思わなかったけれど。

 10センチでも外に足を踏み出したら、まっ逆さまに落ちかねない危険な断崖絶壁もあった。まったく生きた心地がしない。

 目的地に辿り着いたのは、日もだいぶ傾いた頃。水面がきらきらと輝く泉が湧き、泉のそばに、苔むした洞窟が怪しく口を開けていた。

 旅の扉は、この洞窟の奥にある。昔は旅人が自由に行き来していたが、かつての戦争の折に封印され、今ではそんな通路があることさえ忘れ去られてしまった。

 レーベの長老の話によれば、旅の扉は、北大陸のロマリアへとつながっている。


イングリッシュパーラー

2021/06/29

2. 旅の始まり

【アリアハン暦 1274年4月中旬】

 魔物の出没により、海を越えられる連絡船が廃止になって久しい。
 アリアハンには、大海に乗り出すような大きな船はなく、唯一大陸に渡る手段がレーベにある。

 レーべは、アリアハン大陸北部にある山間の小さな村だ。
 ずっと昔、父さんに連れられて一度訪れたことがあるものの、小さい頃だったのでほとんど覚えていない。

 ぼくたちは、レーベを目指してアリアハン街道を北上した。
 途中の村で泊まることもあったが、夜はほとんどが野宿。まだ朝晩は寒く、肌があわ立つ。

 歩きづくめの毎日で、アリアハンを発ってから10日が過ぎていた。

「あ、いてて……」

 休憩を取っていると、カダルが靴を脱いで顔をしかめた。見れば、まめがつぶれている。ぼくは皮袋から軟膏の薬を取り出して、カダルに放ってやった。

「これ、わりと効くから。塗っておくといいよ」
「サンキュ。でも、ホイミは得意なんだ」

 カダルは大岩に腰掛け、自分に向けて回復呪文を唱える。
 さすがに、フルカスは近衛隊長で体を鍛えているし、フォンははるばるカザーブの村からやってきて、長旅に慣れているらしい。

 空腹に、野営に、疲労。ぼくにとっては、旅そのものが強敵だった。

 魔物に襲われることも、何度かあった。最初に気配に気付くのは、いつもフルカスとフォン。二人は、豊富な闘いの経験と知識を持っている。

 大がらすの群れに遭遇した時、ぼくはただ力任せに銅の剣を振るった。

「アレル、大振りするな! 隙ができる」

 自分が戦っていてさえ、フルカスはこちらに気を配る。一匹目は倒せたものの、その直後に突っ込んできた敵に、ぼくは完全に無防備になった。
 まずい、と思っても、反撃できる体制じゃない。金切り声と共に、大がらすの鋭いくちばしが肩口に食い込んだ。

 バギマを唱えるカダルの声と、魔法の働く気配。目に見えない真空の刃が、魔物たちを葬り去った。

「ありがとう、助かった……」
「動くなって。ひどい傷だ」

 ホイミは得意だと言ったカダルが、回復魔法をかけてくれる。

 アリアハンを出る前は、剣技や魔法の修行を積み、毎日カインと手合わせもしていた。
 ある程度、魔物と渡り合える自信はあったのに。実戦はまったく別物だと、戦闘のたびに思い知らされる。


イングリッシュパーラー

2021/06/27

1. 16歳の誕生日

【アリアハン暦 1274年4月1日】

 その月の満月の日、ぼくは16の誕生日を迎えた。

 旅立ちの許可を得るための手紙は、あらかじめノヴァク王に渡してある。旅の供を付けると言われ、城に来たものの、その人はルイーダの酒場で待っているらしい。

 親友のカインは、お前なんかにオルテガ様の代わりが務まるものか、と言う。憎まれ口をたたいても、心配してくれているのだと分かっていた。

 今まで育ってきた街アリアハン。そして母さん。別れが寂しくないと言えば嘘になる。それでも、ぼくは行かなきゃいけない。

 皆への挨拶を済ませた後、母さんと身近な人たちだけに見送られて家を出た。あまり大袈裟にして欲しくなかったから。

(……さよなら)

 言葉には出さず、心の中だけで呟く。高揚感と不安が同じくらいの比重で、ぼくの心を占めていた。



 ルイーダの酒場には、世界中から冒険者や戦士たちが集う。

 酒場の中に入ると、見るからに屈強そうな戦士が、「こっちだ」と手を振った。髪を短く刈った、アリアハン王宮の近衛隊長フルカス。歳は25、6だろうか。

 フルカスと同じテーブルに、ぼくと同じくらいの歳の少年と少女がいた。
 少年の方は、アリアハンには珍しい亜麻色の髪を持ち、僧服をまとっている。少女は、武闘着に黒髪を両耳の上で結わえ、活発そうな瞳をこちらに向けた。

「これから旅の仲間ね。よろしく」

 あろうことか、少女がそう言って手を差し出す。そして少年も。

 旅の同行なんて、とんでもない。驚いたぼくは、もちろん断った。
 これから向かうのは、海向こうの遥か遠くの大陸、魔王バラモスが居を構える地、ネクロゴンドだ。

 決して楽なものではないのに、二人の決意は固いようで、頑として譲らない。
 困ってフルカスを見れば、苦笑を浮かべてぼくの返事を待っている。

 先程デスストーカーが酒場に現れ、ひと騒動あったという。三人のおかげで、幸い大事にならずに済んだのだと、酒場の女店主ルイーダさんが教えてくれた。

 説得できるものなら、とうにフルカスがしているだろう。
 こうして、戦士フルカス、武闘家フォン、僧侶カダルと、ぼくに三人の旅の仲間ができた。


イングリッシュパーラー